投稿の詳細: 聖火リレーに見る、問題の散逸化。

2008/04/27

Permalink 01:52:22, カテゴリ: 雑談(Hard)  

聖火リレーに見る、問題の散逸化。

長野での聖火リレーが終わった。
五輪が誰のものか、という本質的な問題を改めて投げかける結果となった。

1936夏季ベルリン五輪で採用された、ナチス・ドイツの国威発揚のための成果の一端としての「聖火リレー」。現在ではスポンサー企業の「発揚」のための聖火リレーであり、大会の広告宣伝効果を上げるためのイベント。

蓋を空けて見れば、①「自分たちの知らないところに関する非難で自らを侮辱されたと『自分たちに非があることを認めない』その国に依存しなければ行き口のない国の人たち」と、②「その国に対して、自分たちより下の立場だと勝手にその国のことを思い込んでおきながら、その国の問題改善ではなく、専ら非難することによってのみでしか、自分たちの行き口のない人たち」が問題点をすり替え倒し、③「実際にその場所に戻りたいけども、迫害されていてその問題を解決したいだけの人たち」の居場所を無くしている、ということに、すぐに目を向けられないような状況を作っているようにしか見えない。

つまり①②の人が騒げば騒ぐほど、③の人の意味合いが薄まり、①②間の対立は強まり、①②の存在意義が強まってしまう訳で、彼らは不要な存在でしかない、と自分には思える。この辺りは東アジア人的な「自らの誤ち」や「誤ちの存在を認めない」ことでしか存在意義を示せない傾向が強く出ているような気がする。実際には過ちを正確に認識し、③のような人を産まない方法を、特に②のような人が考えて行動しないといけない。しかし②の実際の行動は、①に①側の強硬姿勢を容認させてしまうようなものじゃないか、と思う。

しかしながら、これが普通に行われていたのであれば、①の人たちに利用されるイベントでしかない、というのも話が複雑だ。

スポーツが国威発揚に使われること自体が、スポーツの政治介入を許すということなのだけど、見る人たちは安易な構図に頼り、国家同士の競技でなければ対抗戦ができない、と勘違いをしている。陸上などの個人競技会などであれば、大陸別の協会が選抜すればいいことだし、実際野球やサッカーについてはワールドカップやその類似大会よりも、MLBやUEFAチャンピオンズリーグ(FIFAクラブW杯はそれより競技レベルは下と認めざるを得ない)のようなクラブ大会の方が、実質的には競技レベルが高いように感じる。要するに国家間ではなく、国籍の枠を超えたところのクラブ間での大会での競技会は可能であるし、そうした形式を取ることは実質的であると思う。

にも関わらず、そうしないのは、国家間にした方が構図が安易で、その国の経済状況が悪くとも啓発が可能で…ということは要するにマーケティングの道具である、ということ。

そうであればこの種の「イベント」が①②③のような人達の発揚の場に使われても、否定はできない、という側面もある。

要するに五輪の持つ意味というのは、その参加競技団体が、政治を利用しながら、政治に利用されることのトートロジーを自ら包括していながら、きれい事で「政治とは無関係」等とボイコットの際にきれい事を言うような、極めて自己矛盾を抱えているということを示している、という簡単な問題。

組織拡大がもたらした災厄とも言え、グローバル化が進んでいながら、実際には全く知識の共有がされていない「実質的なグローバル化不足」による矛盾。つまりは、2001年のテロのような事象の1つであるように自分には思われる。

そういう意味でオリンピックというのは一つの転機を迎えているのだけど、日本の競技団体が現在の枠組に固執しつづけ、そのような問題に国民が無関心である限り、マーケティングの論理に流され、本質的な問題は解決されない。五輪はどんどん歪曲されたものになり、問題ではなく五輪への興味が減少し、その商品価値を失っていく。

そのきっかけになる一連の事象のように見えるのだけども。

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コメント: Teru [訪問者] メール
ベルリンでの五輪の際、国内での報道中心は主催国の国策たる人種政策の一時変化などではなく、自覚の薄い膨張政策を盛り立てる自国(含む”外”地)選手「ガンバレ」だったこと。

隣国の南北国家での五輪の際、北側でも(その主席にとっては)最大級の祭典が主催されるも、同様の東西分断国家の東側にすら冷遇された反射効として航空機爆破というテロ行為が為されたとされるも、この事件が広報合戦の負の反射効であると当時、国内で報じられていたか?

被写体は報道機関にとっての、客ではあるが、直接前もって大きな利害が動く構造にある「神」ではそもそも無いという構図。
過去の悲劇の流れを見れば、大きな「神々」たる利害関係に割って入りたければことさら手段の妥当性、非暴力性、事後検証可能性に留意しなければならない。

にもかかわらず、(形骸化した路上デモでも事前申請必須のこの国で)デモしようと徒手空拳で体ごと持っていき、「強制的に」フレームアウト。後はただ憤懣がコピペ連鎖され、一過性で消えるとしたら・・・

「プロ」な手段を使う市民をことさら嫌悪しておきながら、代わりは”玉”砕かと。
『自分たちに非があることを認めない』その国に名指しされた亡命指導者がなぜ手段・発言に実に慎重であるのか、体を先に動かして対立軸を(国内マスvs在野メディアなどと)ぶれさせる前に、流れを再考していただきたいと切に思う。
永続的リンク 2008/04/29 @ 14:11

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