カテゴリ: 雑談(Hard)

2008/07/15

Permalink 21:41:24, カテゴリ: 雑談(Hard)  

wolfy.usへ再移転。

wolfy.usへ再移転。

-Side B-用エントリーです。

b2evoとsite5とさようならということで、ここのログはそのままにして、wolfy.usに戻ることにしました。 Wordpressに慣れてしまいましたので。

ということで、本日以降

- Side B - 改め - 重い話 -
http://wolfy.us/?cat=78

- blog @ wolfy comes back again - 全体は
http://wolfy.us/

までお願いいたします。

2008/06/26

Permalink 23:19:21, カテゴリ: 雑談(Hard)  

「最大多数の最大幸福」

ジェレミー・ベンサムが説いた、個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり社会全体の幸福を最大化すべき、という成すべき行為や政策の原理。

実は自分が小学校・中学校にいた頃には当たり前のように聞いていた「社会政策」。
…まあ、なんでそんな時に聞いていたのかということはさておいて(-_-)。

この所は全く逆の原理「社会全体の幸福(=富)の総計が個人の幸福の総計であるため、社会全体の幸福(=富)を最大化すべき」というものとすり替わってしまった。

個人と社会の関わりの変化、とも言えるけども、
富の偏在という事実でも成立する原理。

「最大多数の」幸福、を失ったんだなぁ、というこの国民の精神をどうとらえるべきか、と思う。

2008/06/23

Permalink 13:58:03, カテゴリ: 雑談(Hard)  

先々週日曜日の事件(2)

秋葉原事件自体の考察については、以前のエントリーでも書いたとおりの見解なのだけど、マクロで見た事象とミクロで見た事象が背反するというのは当然のこと。

ミクロで見た場合、当該加害者が、会社・家族・友人・ネット・そして自らも阻害していることによって問題が発生していて、それのどれかと接触をする機会があったのに、それから自己否定をして拒絶している、というところにあるという点では、昔からある犯罪動機とそれほど変わるものはないようにも見える。

それにも関わらず、表面的な異質性ばかりに注目して、内面の本質的な問題を回避しようとするにには、環境要素のうちどうしても避けたい部分があるのだろうと言わざるを得ない。

関東自動車へ申し入れに行きました。 ガテン系連帯☆ブログ
http://gatenkei2006.blog81.fc2.com/blog-entry-164.html#comment

関東自動車工業の実施したことは、少なくとも当局通達に違反した可能性が高い事象に起因しているようだと思うし、それが白日の下にさらされない今の状況が、日本の閉塞感そのものなのだろうと思う。

それはマクロ経済の繁栄のみを求めるのか、マクロの繁栄は少し毀損しても、多くのミクロ経済を活性化するのかという選択肢を、前者のみの問題にしている今の「政治」および「お茶の間」経済学の罪のように思う。

2008/06/14

Permalink 17:18:01, カテゴリ: 雑談(Hard)  

先週日曜日の事件。

自分はこう思う。
"Bowling for Columbine"を見た方がいい。

カナダ・北欧型社会保障制度をやめて、アメリカ型にこの国が進んでいること、最近の個人攻撃の風潮を含め考えた方がいいと思う。

と思ってヒストリーチャンネルでの再放送を見た。

ーーー

殺人件数については少年犯罪の傾向と実は同じでメディアが取り上げているから興味の対象になっているだけ。実際、昨年の殺人の認知件数は1,199件と戦後最低水準です。
(少年犯罪については 2005に取り上げています
http://www.doblog.com/weblog/myblog/1312/1623259#1623259 )

日本人は性格的に内向的なので、外に犯罪が向きにくいという側面を考えると、殺人と自殺はある側面で同義に考えた方がいいのではないかとすら。年間30,000人は常識的な数字ではないと思う。国民の4,000人に1人が毎年自殺するのだから。平均寿命程度生きれば、50人強で1人が自殺ということ。

その数字はこのようなパブリシティのある事件の前ではかすんでしまう。そして少年犯罪も象徴的な事件1つで一時が万事の対応をされてしまう。

何が大事で何が大事でないのかは常に考える必要があるのだろうなぁと。

2008/04/27

Permalink 01:52:22, カテゴリ: 雑談(Hard)  

聖火リレーに見る、問題の散逸化。

長野での聖火リレーが終わった。
五輪が誰のものか、という本質的な問題を改めて投げかける結果となった。

1936夏季ベルリン五輪で採用された、ナチス・ドイツの国威発揚のための成果の一端としての「聖火リレー」。現在ではスポンサー企業の「発揚」のための聖火リレーであり、大会の広告宣伝効果を上げるためのイベント。

蓋を空けて見れば、①「自分たちの知らないところに関する非難で自らを侮辱されたと『自分たちに非があることを認めない』その国に依存しなければ行き口のない国の人たち」と、②「その国に対して、自分たちより下の立場だと勝手にその国のことを思い込んでおきながら、その国の問題改善ではなく、専ら非難することによってのみでしか、自分たちの行き口のない人たち」が問題点をすり替え倒し、③「実際にその場所に戻りたいけども、迫害されていてその問題を解決したいだけの人たち」の居場所を無くしている、ということに、すぐに目を向けられないような状況を作っているようにしか見えない。

つまり①②の人が騒げば騒ぐほど、③の人の意味合いが薄まり、①②間の対立は強まり、①②の存在意義が強まってしまう訳で、彼らは不要な存在でしかない、と自分には思える。この辺りは東アジア人的な「自らの誤ち」や「誤ちの存在を認めない」ことでしか存在意義を示せない傾向が強く出ているような気がする。実際には過ちを正確に認識し、③のような人を産まない方法を、特に②のような人が考えて行動しないといけない。しかし②の実際の行動は、①に①側の強硬姿勢を容認させてしまうようなものじゃないか、と思う。

しかしながら、これが普通に行われていたのであれば、①の人たちに利用されるイベントでしかない、というのも話が複雑だ。

スポーツが国威発揚に使われること自体が、スポーツの政治介入を許すということなのだけど、見る人たちは安易な構図に頼り、国家同士の競技でなければ対抗戦ができない、と勘違いをしている。陸上などの個人競技会などであれば、大陸別の協会が選抜すればいいことだし、実際野球やサッカーについてはワールドカップやその類似大会よりも、MLBやUEFAチャンピオンズリーグ(FIFAクラブW杯はそれより競技レベルは下と認めざるを得ない)のようなクラブ大会の方が、実質的には競技レベルが高いように感じる。要するに国家間ではなく、国籍の枠を超えたところのクラブ間での大会での競技会は可能であるし、そうした形式を取ることは実質的であると思う。

にも関わらず、そうしないのは、国家間にした方が構図が安易で、その国の経済状況が悪くとも啓発が可能で…ということは要するにマーケティングの道具である、ということ。

そうであればこの種の「イベント」が①②③のような人達の発揚の場に使われても、否定はできない、という側面もある。

要するに五輪の持つ意味というのは、その参加競技団体が、政治を利用しながら、政治に利用されることのトートロジーを自ら包括していながら、きれい事で「政治とは無関係」等とボイコットの際にきれい事を言うような、極めて自己矛盾を抱えているということを示している、という簡単な問題。

組織拡大がもたらした災厄とも言え、グローバル化が進んでいながら、実際には全く知識の共有がされていない「実質的なグローバル化不足」による矛盾。つまりは、2001年のテロのような事象の1つであるように自分には思われる。

そういう意味でオリンピックというのは一つの転機を迎えているのだけど、日本の競技団体が現在の枠組に固執しつづけ、そのような問題に国民が無関心である限り、マーケティングの論理に流され、本質的な問題は解決されない。五輪はどんどん歪曲されたものになり、問題ではなく五輪への興味が減少し、その商品価値を失っていく。

そのきっかけになる一連の事象のように見えるのだけども。

2008/02/09

Permalink 10:40:26, カテゴリ: 雑談(Hard)  

Cartoonize army.

最近、「戦争系」アニメーションをちらっと見ると、昔とはすっかり光景が変わっていることに気付く。というより昔のそれの死に関して「残虐的」に表現していることを思い知らされる。

要するに人がケガをして死ぬことを、よりリアルに描こうとしていた、ということ。
それでも現実よりは何十倍もきれいなのだけども。

ところが最近のそれでは、そこまで明確に描写されない。また単純に戯画化される。
いきつくところは華奢な「女の子」を戦闘機に乗せる始末。

ある意味最近のテレビに関する規制が、残虐な、過激な描写を自粛していることが、実質的により視聴者を戦争という現実から遠ざけている、とも言える。それはアメリカがイラクでやったことと同じで、ヴィデオゲームのような戦争、海外記者を現場から遠ざけることによって、正確な描写をさせない、ということが招いたことと同じ。

ただ、それがマーケティングと繋がっていくということ。一種軍隊に関する寛容になりつつある見方はそこからも影響を受けて来た結果ではないだろうか。

実際には軍隊の統率力は個を駒としてしか使わない。権力は自らを固定化し、個の意見を押しつぶす。そういう側面があることを常に頭の隅に置いておく必要がある。その上で付き合うものであるのに。

残虐な光景から子供達を遠ざけることで、現実を残虐にしてしまうということもあるのだ、ということを知る必要があるのだろう。

それを知ってやっているのなら、相当なものだと思うけれども。

2007/10/07

Permalink 10:12:58, カテゴリ: 雑談(Hard)  

阪神高速へ以下の意見をメールしました。

9/22のエントリー<に由来して以下のメールを阪神高速に送付しました。
もちろん返答はありませんが、今後意図的に阪神高速株式会社がホームページ記載内容を改竄する可能性があると判断し、オープンレターとします。

ーーーー

1)現行特定区間料金の徴収自体、不要であることを示している。

以前ETCでのコスト管理について、料金徴収だけで250円程度のコストと考えている旨の記事を目にしたことがあり、現行案でも最低400円からの設定ということであること。またETC自体が人を介した徴収に関するコスト減を目的として導入したと過去説明していたこと。以上より、現行でも料金徴収自体にそれと同等のコストがかかっていると考えざるを得ません。

その点で、現行の200円以下の特定区間については、現状、徴収することによって「赤字を増やしている」業務であって、この案でということであれば、
・即座に現行特定区間は無料化すべき。徴収のコストが上回るため
・あるいは特定区間に対応する料金構成にすべき
ではないでしょうか。矛盾しています。

2)東・南・西の距離別運賃性に於いても別計算としていること。

御社サイトの料金についてのQ&Aの記載と完全に矛盾しています。

>(2) 複数の料金圏を連続して利用する自動車の平均的な利用距離と一つの料金圏のみを利用する自動車の平均的な利用距離との長短による不公平が生じないようにする必要があること、

完全距離別料金制を敷くことによって、不公平は本来生じない筈ですが、現行料金を追認する料金体系を取ることによって、実際には走行距離との間に著しい不公平を生じます。また複数の料金収受コストを利用者が負担することになり、より不公平になります。

>(3) 阪神南線は阪神東線のネットワークから突出した単一路線であり、阪神東線に取り込んだ場合、60kmを超える長距離帯の利用交通も見込まれ、利用距離に著しい長短が生じ、受益と負担のバランスを欠くこと、

これも同様であり、距離別料金制であれば長距離利用だから不公平ということはありえないにも関わらず、距離に関わらない「徴収コストの二重取り」をもくろんでいるように思います。本来、このETC利用コストは、将来的な人減らしにともなるコスト削減のためのもので、本来は利用者がETC使用するとしても、客に負担させるということは民間企業ではあり得ないことです。それを全て利用者負担にして、更に租税負担か利用者負担かという異常な説明をサイト上でされていることは。名前だけ株式会社になった公団としか言い様がありません。

3)参考の料金区間を市中心部に設定し、見かけ上負担が増えないと誤解させていること。

実際に一般の利用者の場合、区間の長い部分を走る場合に高速を使うことが多いと思われます。よって、各区間の端に近い部分(例えば武庫川、守口、大浜)などの流入量はかなり多いように思います。

にも関わらず、それらではなく、中心部からで提示しているのは、あくまでも負担が変わらないと誤解させるためのものです。

そもそもETCであるのですから、いわゆるピークロードプライシング(混雑する場合は超過料金をかける制度)が可能であり、特に平日の環状線通過車両に対して高額にするなど、需要が最高になる部分に合わせて作った施設の使用は、その受益者に本来は負担させるべきです。

それをしないのはあえて企業ユーザーのみに利益を与え、家庭ユーザーから費用徴収しようという受益者負担の原則から外れるものです。それについてこの案は全く検討しておらず、また理事会にも家庭ユーザー目線の参加者は一切初めから除外され、議事録も掲載されないなど恣意的な運用を行っています。これらは全く理解できません。

4)提案
ETCである以上、原理原則は以下の通りとすべきであると思います。

・距離依存の料金であるなら、収受コストは現行の特定区間を設定し、乗り継ぎの場合を除いて、全て阪神高速と名前のつく区間については、片道1回のみの徴収とすべき。よって、初乗りは少なくとも150円以下と設定すべき。

・東・西・南の区間別料金制はバリア毎の職員の雇用維持目的であり、容認できない。区間別は一切撤廃すべき。その上で料金設定をすべき。(但し現金利用はこの対象から除かれるべき)

・人件費削減の手段であるので、現行料金と同等の設定ではなく、基本的に現行料金以下とすべき。但し混雑状況によって、以下のような料金の過剰徴収は可能と考える。
 ー環状線の1つ手前の降り口以内に進入する車両については、2割程度の割り増し料金を徴収する。
 ー平日朝8時~9時に高速上にいる車両には2割程度の割り増し料金を設定する。(いわゆる交通論で言うピークロードプライシングの徹底)
 ー深夜等については一定の割引料金とする。
 ー端から乗っても現行の料金より通常料金時間帯に乗る場合は基本的に負担を増やさない。多くても2割程度の割り増しに納める。

これら可能な限り阪神高速側の負担がないと、とても容認できるものではなく、単に増税するだけの政府となんらかわりはありません。これらの発表を堂々とできるその神経を疑うとともに再考を求めるものです。

●送信日時:2007/10/02 15:50:20

2007/09/16

Permalink 09:05:37, カテゴリ: 雑談(Hard)  

性善説と性悪説。

小生はここに書いている通り、経済論理については人間は性善説に立たない、という考え方。でも人間自身がそんなに性悪なのかと言えばそれは違うと思う。

そらぁ、水源に毒を放り込む奴はそんなにいないし、外食産業に紛れ込んで、毒キノコを横ちょから放り込んだりというのもお目にかからないし、プラットフォームの線路際を歩いていても、突き飛ばされる可能性は多分100万分の1以下だろう。

そういう意味では全く人間は性善説的に行動しているし、多くの場合はそうなんだろう。

ただ、性悪説に基づく場合は、単純なケースが多い。それは自らの利益に単純に直結するかどうか。その1点のみのような気がする。その結果行動が複雑になる場合があるけど、実際にもつれた糸であれ1本に通じるし、そうでないケースをお目にかかることはそうないと思う。

どこでボタンを掛け違い、それを直せば済むのか、そうでないのかを冷静に考えて、対策を考えるのが適切なんじゃないかなと思う。

そうでなければ毎日生活を送ることができるのは、ラッキーの数々に恵まれたからとしか言えないし、実際にはそれがラッキーでなかったとしても、種々の恵みのおかげで生活を送ることができているのは事実だろう。

だからこそ多くの宗教で、食事の前に祈りを捧げるのは、人間としての本質が何かということを示しているような気がする。

ただ、日本では多くの人がそれを当たり前と感じているから、しない人が多いだけなのかも知れないけれど。

2007/09/05

Permalink 14:29:51, カテゴリ: 雑談(Hard)  

日本的全体主義。

最近バスケット関連の記事をあさることが多いので、どうしてもそちらから連想することが多いのだけども、やはりネットに於いて日本人の思考がより「ムラ社会」的な様相を呈しているような気がする。

バスケットという世界においても、いわゆる守旧派が、企業と学校体育との権益を(実際には)盾によって、どうにかその権益を維持するための組織作りに辟易としている感がある。そのために新しいこと、挑戦、市場開拓を放棄している。ある意味、革新で失うものを恐れて何も動かないか、動いたふりをしている。まるで企業のイメージを変えるためだけにブランド名だけを変えれば売れ続けるかのように。

まあ、実際には市場は人口同様減少の一歩。競争にもさらされないけど、それは国内だけの話で、国際的には男子が「初の」アジア8位になったことでも判る通り。そして種々の失敗も権益を守るために、形を変えなんどか主導権を維持しようとしている。

まるで官僚のよう。

でも、実は今回の話の主題はここではなくって、これに対して異議を唱える側の話。実際、協会主催の大会でビラ配りを行った人がいた。世界選手権でバナーで批判した人がいた。前者は結果的に当該リンクのサイトが閉鎖されることになった。ビラにより本来意図していない意味となったために、ということらしい。

しかし、問題はここからだ。

特にブログのように個人がある程度特定できる場所で活動していた者にとって、これらは実際に活動の場を失わせる可能性がある。実際に反応のため、尻すぼみで動けなくなる人もいた。そしてこれらを「支援していた」のは匿名の掲示板。ところが、だ。支援は具体的ではなく、フォローも具体的にはないに等しい。その後の経緯は読めるけども、しまいには、継続的に活動していない、と攻めるばかり。

つまり…

これらの人は具体的には、口先だけばかりで支援はしておらず、また人に継続的に動いて貰うことによって、自分は書き込むだけで果実を得ようとしている側面がある訳だ。しかも責任を連帯しない。

そして…

結果的に何か活動を起こそうと思った人に対して、最終的に自分が全く完璧に正しいと思える結論を引き出せない限り、これらの人の行動を監視することにもなる。その経緯を読める人は「行動を起こせなくなる」し、継続した行動を起こすことを放棄させるきっかけにもなる。

それは「ムラ」的な管理社会ということである。

目立つことはするな、黙っていろ、何かすれば「ほれ見たことか」。
何の責任感もない。

それなのに、そうした「匿名の場所」で発生していることに気を揉む人がいる。それらの人は、前述した通り、責任感の無い場所に、何の意義があるかを考えた方が良いのではないかと思う。

皮肉を持って言えば、何もないと思う。
あえて言えば、せいぜい天気予報の「注意報」程度の意味しかないのではないかと思う。「気にする人しか気にしない。」背景が判らない人には、事実関係も読めない。乾燥注意報や大雨注意報の根拠も、ご存じない人が多いように。

何をしなけりゃいけないのか、という取捨選択をするべきだと思う。
小生はそれで、バスケット関係についてはevess.netをスピンオフした訳だけど。

顔の見えない形で、付和雷同させ、誰かを犠牲にし、それについては知らないふりを決め込む。日本人が日清戦争以降、第2次大戦に敗れるまで。そしてその後経済的に復興しながら、行政システムに不関与であり、その結果自分たちの作ったシステムを修正せず、問題を放置してきたこと。そしてそれに騒ぐにせよ、政治家・官僚のみに責任を取らせようとしていること。何が間違っていれば致命的で、何が間違っていたら直せばいいということを区分せず、全てを悪だとして自分を善かのように振る舞っていること…

荷担した事実を無視して。

このような方法は「共産主義」と呼ばれる方法の委託方法だ。みんな人間は性善で、仕事はきちんと大衆を考えてしてくれて、システムに任せば安全…。そんなことがないことは「共産主義と呼ばれた国々」で何が起こったのか。また「世界で一番成功した社会主義国」と言われたこの国が、民主主義に名を借りた…実際には共産主義で言う「民主集中」をおこなっていたに過ぎないこの国で起こった社会システムの不全。人間には欲がある限り成長する訳で、そのため全てが性善というのは残念ながらあり得ない。チェック機構こそがこれらを改善する。

民主主義の名を借りていた以上、それらのシステムをチェックする責任があった筈なのに、仕事にかまけて忘れてきた。更には例えば今回のバスケ協会の機構の下の「選手には罪はない」と責任回避な意見も目にする。機構に組み込まれている以上、多かれ少なかれ責任はあるのに。無いのであればそれは民主主義ではない。

そんな日本的全体主義の場所で、何を新しくできるのだろうか、と言っては言い過ぎだろうか。
そういう意味で某匿名掲示板の持つ、希に見る相互扶助的な面、また普段発揮される匿名を借りた無責任さを含め、日本の縮図でしかないと思う。
具体的に進めるためには、場所を変え、品を変え、頭の中身を変え、責任を持って考えること。
そして出来ることをすること。
責任をかぶせるのであれば、その責任の一端位は追うこと。
自分の発言を時系列で第3者が追えるようにすることはその一端の一部だと思う。
仮面を被り続ける奴は、何もする気がないということだ。
現実の世界では。

少なくとも現状の変革は「今の場所・状況」では無理であること。
それ位気付いてもいいのではないだろうか。

何か具体的に責任を負ってしないと、変わらないということくらいは。

# 16:52, 17:15加筆、校了。

2007/08/15

Permalink 23:55:12, カテゴリ: 雑談(Hard)  

終戦から62年ではなく…。

今日は日本という国の中で戦争をしなくなって62年目の記念日。
ええ、本当の終戦じゃありません。

朝鮮戦争で後方の魚雷を掃除しに行き、亡くなった方
クウェートでの湾岸戦争で、戦争にお金で援助したこの国。
アフガンの米英軍への後方支援をし、
イラクへはついにその土地に駐留した。

全く戦争に関わっていない訳じゃない。
そのことだけは忘れないでいて欲しい。
そして、朝鮮戦争で亡くなった方は、靖国神社へはまつられていない。
もちろん戊辰戦争の敗者や西南の役での薩摩軍の兵士等等も。
どちらも国のために戦ったのに。
勝者のみが都合良く奉られる。
なのに第二次大戦の負け戦では奉られる。

そんな都合の良い論理を忘れてはいけないと思う。
そしてそれをどのように利用しようとしているのか、利用しようとしている人間の考えを想像しなくちゃならないんじゃないか、と思う。

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Blog @ Wolfy on the road.

2008/7/15を以て、wolfy.usに移転しました

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